将棋のルール

将棋の歴史

将棋は、チェスと同じく、インドの「チャトランガ」というゲームがルーツになっていると言われています。ヨーロッパに伝わっていったのがチェス、中国、朝鮮半島を経て日本に伝わっていったのが将棋となりました。
日本での将棋の記録は、平安時代から始まります。藤原行成の
「麒麟抄」という文献の中に、将棋のことが書かれています。ただ、この時は持ち駒の概念はなかったようです。

 

その後、駒の数やルールが変更になり、様々な将棋が生まれました。
駒が約350枚もある「大将棋」や、約200枚ある「中将棋」などがあります。これらの将棋は現在では博物館に展示されています。
江戸時代になると、現在の81枡、40枚の駒を使った「本将棋」になりました。江戸幕府から正式に認められるようになります。
将棋で一番の実力者である「名人」も創設され、代々世襲されることになりました。
名人位に就かなかった人でも、詰将棋で様々な作品が残っています。
例えば、伊藤看寿という人は難しい詰将棋の作品をたくさん残り、現在でも愛好者は多いです。

 

江戸幕府が崩壊すると、世襲制も崩壊し推薦制になりました。また、全国各地にアマチュアの愛好家が多く現れ、将棋大会が多く開かれました。「縁台将棋」もこのころに生まれました。
1900年を過ぎたころ、統一した団体を作る動きが見られ、現在の将棋連盟の前身である、東京将棋連盟が創設されました。
タイトルも「名人」の他に「棋聖」や「棋王」など多く作られ、実力で頂点を決める実力制に移行していきました。

 

第二次世界大戦後は、将棋連盟が創設され、タイトルも「名人」を始め7つ作られました。女性のプロ棋士も誕生し、「女流名人」などのタイトルも作られました。
また、プロ棋士になるための組織も作られ、「奨励会」や三段リーグなどが作られました。毎年多くの若者がプロ棋士を目指しています。

 

最近ではインターネットを使った将棋の普及が進んでいます、海外にいても対戦できることから、多くの人が楽しんでいます。